至福のひととき

「至福のひとときをお過ごし下さい」ってナンですか?

地下鉄の車内広告なんかで、件の宣伝文句を見かけますよねえ。
通勤の時などに。
大概がリーゾート・ホテルの施設などの広告で使われる文句ですよねえ。
別にからむ訳じゃないんですけど、
「至福のひととき」って何ですの?
「至福(しふく)」と云う崇高な言葉を、
リゾート・ホテルなんかのキャッチ・コピーに使って貰いたくないですよねえ。

だって、崇高な言葉がごく卑小に貶められて使われていて、それに憤りを感じますもの。
コマーシャル一辺倒に奔って、
その言葉の語源や意味や価値に対する畏敬の念を忘れて使っているから、
違和感を持つのですよ。

リゾート・ホテルでの「至福のひととき」って、
海の見える露天風呂に好き放題に入ることですか?
濃密なサービスのエステなんぞを受けることですか?
豪華な海鮮料理を好きなだけ食べることですか?
勝手気ままにレジャー施設を楽しめることですか?
ほかに何かありますか?
まさか、お色気サービスのことじゃないですよね。
それじゃあ、エロおやじの「至福のひととき」になっちまいます。

くどいようですが、
「至福のひととき」って、
その程度ですか。その程度の至福ですか。
だったら、人を馬鹿にしてるとは思いませんか。
その程度で満足する方は、別ですが。

至福とは、極楽浄土にのぼること、
と言ったら反発されますかね。
何を生臭坊主のような説教を言ってけつかると、
至福業界の商売人さんからはこっぴどく反発されることでしょう。
何故なら、
至福はこの世では得られないもの、
と言っちゃってるからです。

だから、妥協して、別の言葉を使って貰いたいのです。
至福じゃあ、大仰、大げさでしょうー。
至福の、この世版と言ったら、せいぜい、
快適なとか、
ここちよいとか、
きもちいいとか、
これまでにないとか、
日頃の世界から解放されたとか。

その程度のキャッチ・コピーで十分でしょう。
至福なんて言うと、適切なたとえじゃないけれど、
羊頭狗肉じゃないですか。

それとも至福の明確な定義があるのですか。
それとも至福なんて相対的なもので、
人によってそらぞれ違うとも云うのですか。

CM業界では、とかく、大げさな大仰なキャッチ・コビーが好みでもてはやされます。
それ考えひねり出す才能には大いに敬服いたします。

が、そんな軽佻浮薄短小なキャッチ・コピーを
嬉々として受け入れる日本人たちが情けない。
国民の一員として、この点を良識ある皆さまに直訴申し上げたい。

キャッチ・コピーは、
単なる言葉の遊びやいたずらやゲームのシールであって、
所詮、芸術文化とはかけ離れたものですよねえ。
言って見れば、
スーパーのタイムサービス用30円値引きシールとなんら変らない、
と決めつけられます。

心にもない敵意を抱く時

誰も好き好んで敵意なんて持たないよね。
ふつうの人はみんな、争いを好まない、平和主義者だからね。
そうなんですよ。
ヒトに敵意を抱くなんて、よほどの因縁が無い限り、ありえないですよね。
そうなんですよ、あなた。
気が短いわけでもなく、キレやすい性格でもないのに。
むやみに敵意を抱くなんて、考えられないものですよね。
そうなんですよね。
えっ、オマエは何を言いたいのか、ですって?
そうですよね。そう思いますよね。
では、何から言ったらいいでしょうかね。

・百均で
たとえば、あなたが歯間ブラシを探してたとします。
オーラルケア―関係だから直ぐにそのコーナーはわかりました。
さて、歯間ブラシとはと。
ええと、ええと、ああ、あったあった。
でも、ここにぶらさがってるのは真っ直ぐ型ばかり。
欲しいL字型は無いのか。
念入れりに回りを探してみる。
ない、ない。
置いてないのか。
念の為にレジの人に訊いて見る。
L字型の歯間ブラシはないですか?
出てるだけです。
何ちゅう返事、これが客に対する応対か!
とその店員に反感、不快感、怒りを覚えませんか。
敵意が湧いて来るのを感じませんか。
イヤ、そんなことはないですか。

じゃあ。
あなたが小物2,3点持ってレジへ向った時。
生憎レジは一人で先客がいました。
先客はカゴ一杯の商品を清算中。
先客に対して未だ敵意は感じませんか。
いくら商品が多くても、百均だから点数だけ確定すれば。
一点、二点、三点、‥‥、‥‥、十六点で千七百二十八円になります。
先客のオバサンは丸々太った財布をガサゴソ、ガサゴソ。
小銭をジャラジャラと散々数えた挙句。
一万円札を出した。
嘆息が出ませんか。
前もって財布の中身を確認しておけよ。
手際よく最初から万札を出せよ。
そう、思いませんか。敵意を感じませんか?
店員が一万円から頂きます。先ず八千円のお返しでお確かめください。
お後、二百七十二円でございます。
オバサンは例の太った財布に手際悪く納める。
それから商品の詰め込み始まる。
未だ、敵意は大丈夫ですか?
コワレモノでなければ大き目なレジ袋にどんどん放り込めばいいが。
電球などあるもんだから、選別し乍ら扱わなければならない。
したがって、更に待たされる。
未だ大丈夫ですか。
レジ終わって、やっと、順番来たと思ってたら。
オバサンが離れ間際に、○○買い忘れたけど何処にあるのとの発言。
レジ係は、少々お待ちくださいとも言わず。
どこそこにおいてると思います、とのまさかの返答。
未だ大丈夫ですか?
オバサンはドコソコって何処よ、との返答。
此処からレジとオバサンのやり取りがまだ続いたら。
どうすか。
二人に対して敵意を抱きませんか。
イヤ、気が長いから、そんなことはないですか。

じゃあ。

正しい心を持ち続けるための宗教の勧め

正しい心とは

正しい心とは、抽象的でピンとこないですが、
邪悪な心では、どうでしょう。
邪悪な心については、みなさん、容易に思い当たる事でしょう。
例えば、
「・・・したい、・・・する。」と云う邪心は誰にでもあるでしょう
神でもない限り、
人は皆、身勝手な嫉妬・羨望などなどの思いを持つものです。
それは、多かれ少なかれ、
人は様々な欲望を抱く、性の下に生まれて来ているからです。

生と死の間に!

其れは、単に、「生まれてから死ぬまで」のことを指しているわけではない。
命あるものの物語なのだ。
動植物、すべて、生あるものがこの世を育んでいるのであり、
人はその一員、構成要素にすぎないのだ。

生贄の結婚!

もう君を解放して遣りたい。
スキー事故の生贄と成った君を、
もう開放して遣りたい。
僕の右ほほの醜い傷は消えないけれど。
君のスキーのエッジで傷つけられた。
美しいお嬢様の君が責任感じて
僕と結婚して呉れた。
だから僕達は明らかに
不釣り合いな夫婦だった。

通勤電車の中で!

都営地下鉄浅草線の浅草駅から大門駅で下車し、貿易センタービル経由して、三階の東京モノレール浜松町駅から新整備場駅下車し、徒歩か社内連絡車で会社までの通勤。
約一時間余りの通勤。
都営浅草線は京急と相互乗り入れだから、羽田空港行きなら乗換え無しで空港まで行けるが、途中に新整備場駅に相当する駅がない。
だから、空港からは徒歩で行くか、タクシーで行くしかない。
なかなか座れないが、殆んどの場合、客が多く下車する東銀座で座れる。
と云っても、二駅で下車駅の大門。
ラッキーだと蔵前駅で座れる。
最悪は同じ大門駅下車客の前に立った場合や回りの客が新橋下車の場合だ。
稀に、浅草橋駅、東日本橋駅、人形町駅、日本橋駅、宝町駅で座れることもある。
いずれにしても二十分余りの乗車だ。
でも座りたいと思うのは歳のせいでもないだろう。
本人は意識してるのか、してないのないが知らないが、未だ未だ降りないくせに、停車する毎にキョロキョロ駅名確認するやつ。
意地悪に降りる風して何度も座り直す奴。
居眠りしていて、急に気づいて慌てて降りる奴。
停車する前からそわそわしてるくせに、結局降りない奴。
席が空くのを期待して待ってる身には、イライラさせる奴らには、お互いに何の関係も無いんだけども、無性に腹が立つ。
まあ、勝手にして貰っていいんだけど。
座れるかと期待する方が勝手なんだから。
化粧してる女もいるよ。ブスの癖に。
爪切ってる奴。もの喰ってる奴。
ざる蕎麦食ってるの、落語家がこの間見たと高座で言ってたが、ネタ話か。
殆どの奴が手元だけ見てると云う異常な光景。
読書や新聞雑誌ならまだいざ知らず。
スマホで一体何やってるのか、何をてるのか。
ゲームか。メールか。ネットサーフィンか、テレビか。
まあ何でもいいけど。
月々のスマホ代に幾ら掛かろうと大きなお世話さ。
時間過ごしに俺好みのぽっちゃり女が居ないかと見回しても、最近は居ないなあ。
一人くらいは居たんだが。
そんな顔でよく生きてるなあって思う、女、そして、男。
ひどい、大きなお世話だ。
傍若無人な男、そして、女。
きっと、皆に嫌われてるだろう、友達居ないだろう、って大きなお世話だ。不潔な男、そして、女。
見るからに不快で目を背けるを得ない奴。
通勤で混雑する時間帯に乗車する老婆・老人・赤ちゃん連れ・子連れ・叔母さん連中。
女の耳障りな高い通る声。

こんな奴らが日本を支えてるのか。日本国民の一員か。情けなくなる。
こいつ等が死のうと生きようと何の価値もない。
テレビの報道番組と全く関係ない奴ら。
その辺の蟻のように、ただ生きてるだけで何の価値もない奴ら。
向う三軒両隣のにちらほらする八ッつあん、熊さん、おかみさん、ご隠居。
なんて、落語の世界、古いね。
まあ、昔は、無教養でも善人だったが。
今は不良・フテー野郎・とんでもない野郎・おたく野郎・非常識野郎・モンスター野郎などなど、悪人だらけだ。
文明・技術の進歩は格段に進んだが、人間のほうは原始人から全く進歩してない。
昔に比べて、なんて住みにくい世間と成り下がったものか。
他人事みたいだが他人事じゃない。
毎日、テレビ各局のМCが判ったような顔して喋るニュース。
実生活との乖離が大き過ぎる。
マスコミの劇場化ですべてが現実離れに映る。
何処か別の世界、関係ない場所、関係ない事、関係ない人、関係ないもの、すべてが関係ない、関係ない。
と思い込んでるから、身につまされないし、何の感情も湧かない。
キャスターや胡散臭いコメンテーターやタレント評論家が熱っぽく喋れば喋るほど、しらけて来て、まるで架空の話でも聞いてるようで、実感がない。
人間関係が希薄になったせいか、呆れた個人主義が許されてるせいか、核家族のせいか、無気力無力無関心のせいか。
いろんな理由から、自分が関わるだけの狭い世界にしか興味がなく、他はどうでもいい感覚なのだ。
自分に関係ないことは、どうなろうと全く興味も関心もない。
ひたすら自分が棲んでいる世界が大事。
他人の侵入を絶対許さない、自分自身が存在する場なのだから命懸けで守る。
そのかわり、自分の世界に入ってこない限り、他人の勝手放題には何とも思わない。
だから、他人には無関心だし、他人のやることにも無関心でいるし、いられる。

ある時の車両では、やっと座れたと腰を降ろし、回りに目を遣ると、
何と、右も向いても、左を見ても、前を向いても、醜女ばかり。
こんなに女が何人も乗ってると云うのに、ありえないでしょー。
少なくとも、一人くらい、まともそうなツラのおんなはみかけたもんだが。
まともな面の女は、一体、何処にいっちまったのか。
他の車両へ逃げちまったんだろうか。
この車両だけなんだろうか。他の車両にはふつうにいるんだろうか。
一体、どうしちまったんだ。
あまりの嘆かわしい光景に暗い気持ちになっちまう。
ため息が出てしまう。嘆きの天使、の気持ちだ。
まさか、日本中のおんなの間に、新種の醜女伝染病が蔓延してるんじゃないだろうな。
一夜にして、急に、みんな、醜女になっちまったんじゃないだろうな。
もしそうなら、こんな日本にゃ、生きて行けない。
生きてる喜びないような国になんか住んでられないよ。
それこそ、美人がいっぱいいる国に、ベラルーシュにでも、移住しなくちゃ。
移住するなら、日本が世界中で人気がある、今しかない。
男たちよ、肉食系男子よ。
日本のブスを捨て、美女をゲットに、世界へ出掛けよう。
日本男子の種を世界の女の腹に宿させよう。
醜女伝染病の流行を終息させるには、それしかない。

オレは本当に俺なのか?

オレには、親があって、兄弟姉妹があって、親戚があって、
家族があって、住まいがあって、勤務先があって、等々。
日本国民のオレは、疑いもなく、人並みに社会生活を営んでいるが。
当たり前に日常生活を過ごしている、このオレだが。
このオレは、果たして、本当の俺なのか?

何が言いたいのか解らないだろうけれど、
オレの言いたいことをちょっと聴いて貰いたい

オレとは一体何者か
オレ自身の陰と陽と云うか
精神病理学の多重人格と云う話ではなくて
普段の、日常の、表なるオレ自分と内なる自分
オレの外づらと内づらじゃなくて
わかるかなあ
オレが俺であるとの実感と云うか、確信と云うか
至極当たり前の事なんだけど
いい歳こいて何を今更なんだけど
この変な感覚わかってくれないか
「われ思うにわれあり」的な
実存主義的な違和感と云うか
(実存とは何?)
他人の存在はわかるが、オレの存在・実体がわからない
(存在とは何?)
(実体とは何?)
つまり、オレと云う薄っぺらい紙の裏表のことではない
オレの光の当たる明るい部分と光のあたらない暗い影の部分のことでもない
オレの実体とその影と云うか

会話が虚ろに響くと云う感覚・実感
言葉が虚ろに語られる時
実体のない言葉、否、感情の無い言葉
違う
言葉を発して会話をしてるのは確かに自分なのだが
それを客体視している内なる自分も確かに自分なのだ
言葉を発しているのが本当の自分か
それを見ているのが本当の自分か
性格が分裂してる訳ではない(多重人格とは違う)
感情の裏と表と云うか
人格と云うコインの裏と表でもない。
自分と云う自己認識に存する裏表と云うか
自分と云う自己感覚・自覚に存する表裏と云うか
裏と表ではなく、表と表。
こんな感覚は俺だけではなく、誰にでもあるのではないか
ただ誰も話さないだけで
例え話したとしても、自分の構造に係ることだから、他人には理解できない
この精神構造自体は理解されたとしても、
それぞれの人の精神構造・精神状態がどうなってるかは、
人の顔がそれぞれ違うように精神構造・精神状態もそれぞれちがう
ただ鏡の中の自分を見ているような自分が居ると云う事なのだ
(精神とは何か?)
唯物論では脳細胞のニューロンの活動の結果、精神が生まれる?
飛躍するが、AIからも精神は生まれる?
唯心論では神経細胞・ニューロンの活動からは生まれるのは身体機能・能力であって、
精神つまり心は細胞活動の結果ではなく、
人間が生れながらにそれぞれ内面に持つ心である。
天の神様が人間に授けたものであって、
飛躍するがAIが幾ら発達してもAIに精神つまり心は生れない。
(意識とは何か?)
話を分りやすくすると、
逆に意識が無い状態とは、事故か何かで生体反応が無い状態?
寝ている時は意識が無いのか?寝て居ても身体反応はある。
起きることは意識が戻ったことか?
睡眠状態から覚醒へと変化するメカニズムとは?
体内時計で説明がつくのか?
目を開けない、言葉を発しない、身体を動かさない、意思表示がない。
(意思とは何か?)
脚気の膝検査は生体反応ではなくて、生体反射?
五感を通した生体反応・精神反応?
(精神とは何か?)また同じ問いに戻って来た。

「東京北部小包集中局のこと」・・・山谷ブルース(岡林信康)の世界・・・

東京北部小包集中局とは、一九六七年昭和四十二年十月二日に郵便物増加で逼迫して来た東京中央郵便局から、小包分配・差立て事務の一部を移管して、台東区清川に設置され、一九九〇年平成二年八月六日に廃局されるまで、東日本及び東京都宛非速達小包を取り扱った小包専門局であった。東京南部小包集中局と云うのも他にあった。

昭和四十五年頃には、大学生のアルバイト先として広く知られており、大学学生課には毎年夏季バイト募集の案内が来ていた。
千葉県習志野市津田沼の駅前大学CIT一年生の夏に、柔道部の長崎合宿費用を調達するため、二週間ほどのアルバイトのため、下宿先の習志野市鷺沼台から通ったものだった。
鷺沼三丁目から乗車した京成バスを京成津田沼駅で下車後、
京成電鉄・急行上野行に乗車。
京成津田沼―谷津遊園―センター競馬場前―京成船橋―京成西船橋―東中山―京成中山―京成八幡―市川真間―国府台―京成小岩―京成高砂―青砥―お花茶屋―堀切菖蒲園―京成関屋―千住大橋
千住大橋駅で下車して、国道四号線日光街道に入り、千住大橋を渡って南下し、交差点で国道四六四号線吉野通りへと左折し、国鉄南千住駅横の踏切を渡り、泪橋交差点で明治通りへ左折して暫く行くと、東京瓦斯の大きな丸いガスタンクが三基見えてくるのだった。
ガスタンクの手前の、通りを隔てた向い側にある、七階建ての新築の立派な建物が小包集中局なのであった。
冬至は高度成長期時代の真っ只中で、この山谷地区(と後で知った)には全国から集まった日雇い労務者が溢れており、又、この労務者達を相手にした、木賃宿、大衆食堂、雑貨屋、古着屋、立呑み屋などなどが道路沿いに軒を並べて居たのだった。
通りすがりに見る料金表示や値札や価格は、驚くほど安いので怪訝に思われたが、これが山谷価格なのだと、後から納得したものだった。
募集されてるのは夕方から翌朝までの夜勤のアルバイトで、その出勤・退勤途上に酔っ払いが路上のそこここに転がってるのは異様な光景なのだが、サラリーマンなどの通行人は見慣れた当たり前のことの様に、一向に気にも留めずに通り過ぎているのだった。
事情を知らないよそ者にとっては、行き倒れではないのかと、一瞬、ギョッとドキッとする光景なのだが。
仕事にあぶれて酒浸りなのか、その日の稼ぎをみんな酒に使い込んで酔い潰れているのか。
日雇い労務の手配師の周旋屋・斡旋屋が早朝から日雇い労務者を呼び集めてトラックに載せて現場へ連れ去って行き、後には仕事のあぶれた労務者達が残されるのが日常茶飯事の光景なのだった。
自分の目の前に、岡林信康の「山谷ブルース」の世界が広がっていたことに気付いたのは、鈍感にも、暫く経ってからのことだった。
・・・今日のお、仕事わあ、辛かあったあ、あーとわ、焼酎うを、あおるだけえー・・・

数基ある巨大な小包選別機が、その日の膨大な小包を選別し終わって、一斉に停止した夕刻後に、出来た小包の幾つもの大きな山を、手作業で配送専用郵袋麻袋に詰め込むのが、日勤から引継いだ、夜勤の仕事となるのだった。
闇雲に嚢一杯に詰めても、口が閉じられないし、運ぶには重過ぎるから、そこは適当な重さ、嚢に六分位に止めるのがコツなのだが、世間知らずの学生なもんで、効率上げるために嚢一杯に詰め込んで、持ち上げられないほど重くなって仕舞い、後から先輩作業員に叱咤・冷笑され、何度も遣り直しをさせられたものだった。
夕方から作業始めて交代で仮眠取りながら翌朝までの作業なのだが、兎に角、詰めても詰めても小包の山が一向に減らない様に見えるから、軽口叩いたり、口笛吹いたり、鼻歌交じりだった始めの遣る気も元気も、疲れが溜まって来るにしたがって、口数も消え失せて来て、後は無口で只々黙々と作業を続けるだけの、可哀相な状況と成って来るのだった。
これが労働と云うもんだ、と身に染みてしみじみと分った時であったのだ。
兎に角、目に見えて山が減る程の作業の進捗がないと休憩・仮眠に入れないから、セッセとやらなくてはと頭では解っていても、不慣れな肉体労働の疲れと一向に減らない小包の山の前では、何も考えられずに脳みそを腐らした儘、ただダラダラと、怠惰に作業を続けるしかないのだった。
けれども、苛立った先輩作業員が、お前ら、この山を片付けないと、いつまで経っても休めないんだぞ、と脅しを掛けても、その時だけはテキパキと作業の手が早まるが、暫くすると、そんな脅しにも不感症になってしまって、何の手応えも無い、何の反応も無い、無能な輩に戻って仕舞うのだった。
それでも、時間の経過と共に、未明には小包の山が少しは減って来ると、先輩作業員からやっと仮眠の許可が出て、別室の二段ベッド部屋へ行って空いてるベットに倒れ込んで、ぼろきれのように眠り込むのだった。
二時間程度の仮眠の後、社員食堂で朝飯を食ってから、重い体を引き摺りながら帰宅と云うことになる。
正面玄関を出た処で、向いに異様に大きな丸いガスタンクを仰いで、変な性的興奮を覚えながら、目が眩む朝の光の下を重い体に押し潰されそうになりながら、トボトボと前日来た道を戻って行くのだった。
出勤時に感じた、山谷の光景や道端に倒れ込んでる酔っ払いの異様な姿には、最早、何の感情も覚えない無感覚状態となって、出勤して来る人々の流れに逆らって、ただひたすらに千住大橋駅へ歩みを進めるのは、負け犬が尻尾を垂れて住処に戻って行く姿に似ている。
ボロボロになってやっとの思いで下宿に戻り、熟睡・食事などして体力が回復したら、又、再び夕方には出勤することになるのだった。
短期間のバイトだからこそ出来る、割増賃金のキツイ仕事なのではある。
本格的な肉体労働のバイトに、辛うじて挫折もせず、何とか二週間余りの勤務をこなして、
柔道部長崎合宿行きの旅費と資金が出来たのだった。
世間知らずの生意気な学生にとって、山谷のドヤ街の中で働く、と云う厳しい現実社会に向き合う、得難い経験ではあったが、一方では、二度とこんな仕事はしたくない。
就職する時は、もっとましな、サラリーマン稼業を選びたい、と強く心に思ったのだった。

国鉄南千住駅傍には小塚ッ原刑場の刑死者の菩提を弔うために建立された首切り地蔵がある延命寺は史跡小塚原刑場跡で以前はすぐ隣にある回向院と同じ敷地だったそうな。小塚原刑場との境を流れる思川に架かっていたと云う泪橋とは罪人がこの世との別れであり、身内の者には今生の別れの場だそうだが、何とも悲しい名称ではないか。「涙」じゃなくて「泪」なのが何とも悲哀を表すに適している。
当時は知らなかったのだが、小包集中局からの帰路に泪橋交差点で右折せず真直ぐ明治通りを進むと、土手道にぶつかり三ノ輪交差点に進む。
この土手道が、かの柳橋から舟で隅田川から山谷掘りに入り土手で陸に上がって進むと吉原大門に辿り着き、中へご案内と云う俗曲に出て来る処とは何とも艶っぽい。
この吉原大門の前に今も見返りの柳があって、相方の遊女を思い出し思い出し帰ったとは何とも言えぬ男の悲哀を感じる。
この直ぐ北側に土手の伊勢屋と云う老舗の天婦羅屋があり、創業が
その隣にこれも老舗の桜鍋の中江がある。
吉原の直ぐ北側には樋口一葉旧家・記念館がある。
その直ぐ西には酉の市で商売繁盛繁昌の熊手で有名な鷲神社と鷲寺の長國寺。
土手道を南下すると馬道に繋がり、更に南下すると浅草寺境内西側の二天門へ通ずる横道に出会う。
浅草寺
浅草

便利さと人間性喪失とロボット化(AIの反逆)

世の中が便利になればなるほど、
その効能に反比例して、
人間性と云う感性・能力・特性がどんどん失われて行き、
遂には、
ロボットの様に機械的反応しかできなくなる、デク人形に進化?して行く。

と、こう云う話をこれからして行きたいと思いますが、
みなさん、この話聞きたいですか?
聞きたい!
長くなりますが、途中で飽きずに聞いてください。

では、
便利になることによって失われて来た人間性の
例をこれから逐一挙げて参ります。
そう思うか、思わないかは、あなた次第です。

例その一、 ワードプロセッサーの効能と罪悪
これについては誰もが感じていることで、今更どうのこうのと言うほどではありません。、
問題点
難解な漢字を使いこなせるようになったが、自筆・手書き文章の場合には益々悪筆・字が汚くなり、使う漢字に自信がもてなくなり、簡便な漢字しか使えなくなる、ひらがな・カタカナによる書き換えが増える。
文章完成にはかなりの時間が掛かることになる。
訂正・加筆が難しいため、更に時間を要するし、書き直しで紙くずの大量生産・資源の無駄遣いとなる。
修正液・修正リボンの世話になるのを避けるためより慎重になり更に更に時間が掛かる。気の利いた文章を使えなくなる。
ワープロの定向進化とは
文書と云う形態が存在する限り。新聞がなくならないように
音声入力とは
脳波入力とは

悪口三昧

『顔だよ、その顔、その面!』

なんだ、その顔
ブス!
オカチメンコ!
そんな顔してよく外に出られるな
鏡を見ろよ
鏡がないのか
家族は何んとも言わないのか
品のかけらもない顔
下品な顔
不細工な顔
不器量な顔
他人を不快にする顔
笑っちゃう顔
吹き出しちゃう顔
目を背けたくなる顔
そんな顔してよく外に出られるな

オコゼの様な顔
爬虫類の様な
狐狸の様な
魚の様な
畜生の様な、獣の様な
魔女の様な
出来損ないのお面か
はたまた木偶人形か

とても直視できない
顔、背けたくなる
決して関わりたくない
他人を不快にするよ
生きてる価値無いよ
そんな面下げてよく外歩けるな
生まれつきで、あんたのせいじゃないけど
整形した方がいいよ
あんただけの不幸どころが、周り皆が不幸だよ

大体、その顔で出歩ける、その神経が分らないよ
毎日、鏡見てて何とも思わないのか
見慣れてしまって今更気にもならないのか
家族も何とも言わないのか
不思議だ
もう慣れっこになって何にも感じないのか
不愉快を感じるのは他人だけか
そこに出くわした者が不運なのか
その顔、周りに伝染するよ
他の人まで不愉快な顔に見えてくる
本人が恥じらう素振りも見せないのも腹が立つ